Third Eye

第6回 カオスの中のヤジロベエ思考3.0  ~最近、バランスを欠いていると思いませんか?~

サードアイ 2025.5.9

 この30年、日本は天災、疾病、コメ不足、不景気や少子化などが重なり、国民は疲弊しきっています。そしてさらに、高い年貢(税金や社会保障)は江戸時代に一揆が多発していた五公五民の負担率を超えているという説もあります。これでは世界一おとなしい日本人が財務省解体デモをするのもムリはないかもしれません。
 5年前、コロナ禍に入って間もないタイミングで「非常時のヤジロベエ思考2.0」というコラムを執筆しました。そのコラムはもう公開されていないのですが、世の中がパンデミックで未曽有の危機に直面していたなか、どのように乗り越えていけばいいのか、自分なりの考えをご提案しました。
 それから5年。コロナ禍が明けて2年が経ちましたが、世界の状況は以前よりもますます混迷を極め、カオス化しています。
 しかし、カオスは見方を変えればチャンスです。そのカオスの海を乗り切るために、今回はバージョンアップした「ヤジロベエ思考3.0」を考えてみました。皆様が日々の生活を少しでも豊かにするための参考にしていただけると幸いです。

●ヤジロベエ思考とシーソー思考
「ヤジロベエ思考」は私が考えた言葉で、ヤジロベエの人形のようにあらゆる両極にある考えをバランスよく保つ思考のことです。
 一方で、白か黒か、勝ちか負けか、善か悪かといった相反するものを判断基準にする従来の考えがあります。私は、この「〇か×か」という相対的な考えを「シーソー思考」と名づけました。
 シーソーは自分が下になったら相手は上、という感じで、常に上がったり下がったりします。相手があるから自分は上下する。つまり、他との比較で動いているようなものです。
 遊びとして、シーソーは変動が激しくて面白いものです。今の社会では常に競争で勝敗を争い、まさにシーソーゲームの世界です。
もちろん、資本主義において、勝ち負けのシーソー競争は基本原則でもあります。しかし、勝ちか負けか、善か悪かという2つの判断軸しかないと、「自分は善だが、相手は悪」という見方に偏りがちです。戦争はその最たるものです。
 今、世界ではウクライナとロシアの戦争、イスラエルとパレスチナの紛争という大きな戦闘が2つも起きています。過去を振り返っても、人類の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではありません。
 アメリカでドナルド・トランプが大統領に返り咲き、この2つの戦闘を終わらせようと、かなり強引に取引を持ちかけています。トランプは1期目で「在任中に戦争を起こさなかった唯一の大統領だ」と言われています。その点は評価できても、関税を引き上げることで世界中に経済的な戦争を仕掛けている状況で、各国が対抗措置に出るなどしています。
 これは世界とアメリカをシーソーに乗せて遊んでいるようなものです。自国のために話し合いを放棄し、経済力や武力で殴り合いをすれば、世界中が私物化してしまいます。結局、欧米は勝ち負けから離れられず、戦争は永久に続くのでしょう。
私は、この終わらないカオスの世界を生きるには、シーソー思考をやめ、ヤジロベエ思考になるべきだと思います。
善悪で考えるにしても、どちらか一方が〇でどちらかが×ではなく、バランスを重視し、力で決着をつけるのではなく話し合いをするべきです。それにはヤジロベエの中央の人形、すなわち自分が大切です。しっかりしたポリシーやリテラシーに基づき、左右に偏らずに真ん中でバランスをとれば、不安定な世の中でも倒れることなく立っていられます。
ヤジロベエ思考は欧米や中国ではできなくても、日本人には可能です。
たとえば、ビジネスという弱肉強食の世界でも日本は近江商人の「三方よし」のような精神がありました。これは「買い手よし、売り手よし、世間よし」の三者の利益を追求する経営哲学で、常にヤジロベエのようにバランスを考えて、調和を重んじてきました。自分の欲望だけではなく、すべての人のバランスを考えれば、欲望のままに突き進んでいる動物のような生き方に歯止めをかけられるのではないでしょうか。

●どうすれば、非常時でも自分を見失わないでいられるか
 2024年1月1日に起きた能登地震において、SNSでの情報発信が救助の手助けになった反面、デマが飛び交う事態も起きていました。
 元NHKのリポーターで、現在は市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げて運営している堀潤さんの『災害とデマ』(集英社)という本があります。その本によると、能登地震の際に「倒壊した建物に親族がはさまれ、重篤な容体に陥っている」といった内容の書き込みをした男性が、後に逮捕されました。実際に機動隊員が救助に向かっても被害は確認されず、本人は「自分の投稿に注目してほしかったから」という理由で投稿したそうです。
 現在、X(旧Twitter)は投稿の表示回数で報酬が支払われる仕組みがあるので、デマを流してでも閲覧数を稼ごうとする人が増えたのではないかという指摘もあります。
 人の生死に関わるような災害が起きているのに、平気でデマを拡散させる。それは、自分さえ上に上がれればいいというシーソー思考の典型です。
ただ、それはSNSに限らず、関東大震災のころから災害に乗じて偽物の情報を発信してお金を稼ぐ輩はいたようなので、そういう人間が一定数いるのだと肝に銘じておくしかないと思います。
『災害とデマ』では、2016年の熊本地震で「近くの動物園からライオンが逃げた」とSNSでデマが投稿されたことも紹介されています。その動物園も被災し、職員は対応に追われているさなかに、「ライオンが逃げたのか?」という電話が殺到したそうです。ライオンが怖くて避難できなかった住民もいたので、まさに生死に関わる問題です。その投稿をした人物も後に逮捕されています。
本書では動物園の獣医師がインタビューに答えているのですが、「被害は精神的なものが一番大きかった。最初は怒りがこみあげて来たけれど、後になって振り返ってみると、人間の寂しさや弱さを感じた。そんなことをしないと生きていけない人たちの気持ちを考えると寂しい」と語っていらっしゃるのが印象的でした。
 おそらく、人とのつながりが薄いと、その情報を発信することで、どこにどのような影響を与えるのかを想像できないのかもしれません。
 今はネットの情報のファクトチェックをする団体もありますが、それだけでは偽情報を根絶することはできません。というより、どんな手段を使っても偽情報を発信する人はいるので、0にはできないでしょう。
 やはり、情報を受け取る側がリテラシーを高めるしかないのです。
 この本ではフェイクニュースをチェックする団体の代表を務めていた方が、「一番危険なのは『偽ニュース』そのものではなく、自ら『疑う』『考える』ことをやめてしまい、分かりやすい話や感情的になりやすいニュースに、簡単に飛びついてしまうことだ」と警鐘を鳴らしています。
自分を見失わないためには情報リテラシーを持つ必要があります。情報リテラシーとは、情報に強いということではなく、情報を十分に使いこなせる能力という意味で使われています。
 とくに今はchatGPTが瞬時にどんなテーマでも回答をしてくれます。それを「chatGPTは賢いな」と感心しているだけでは危険です。しれっと誤情報を回答する場合もあるので、テクノロジーを盲目的に信じるのではなく、常に「本当かどうか」を疑って自分で調べることで、ヤジロベエ思考を養えるのだと思います。
 自分のバランスを保つためにも、自分とは考えの違う相手の意見を受け止める寛容さは必要です。
 違う考えの人の意見を聞くうちに、すべてにおいて考えが一致する人もいなければ、すべてにおいて考えが違う人もいないのだと分かってきます。自分が苦手だと思う人であっても、部分的には賛成できる意見もあるのだと分かれば、偏った意見に振り回されないでしょう。

●「答えの出ない問い」を考え続ける
かつてテレビが登場したとき、社会評論家の大宅壮一は「一億総白痴化」という言葉を使い、テレビを観ていると思考力が低下すると警鐘を鳴らしました。時代は進み、インターネット、SNS、AIが普及し「1億狂人化」を懸念する声もあります。
2025年の1月から3月まで放映されていた、『御上先生』というドラマが話題になっていました。この作品は、いわゆる熱血教師による青春ものの学園ドラマとは一線を画し、文部科学省を批判し、日本の教育問題に鋭く切り込んでいる異色のドラマです。
東大卒のエリート文科省官僚の御上孝が、エリートを輩出する進学校「隣徳学院」に出向し、高校3年生の担任となって、生徒たちが抱えるさまざまな問題を解決していきます。
教科書検定問題、学習指導要領問題、ヤングケアラー問題など、生徒たちを取り巻く問題が浮き彫りになると、御上先生は「自分の頭で考えて」と突き放します。
全編、歯に衣着せぬ日本の教育批判をして、毎回スタンディングオーベーションしたくなりました。
御上先生が繰り返し伝えていた言葉が「The personal is political.」です。これは「個人的なことは政治的なこと」という意味で、個人的な問題の多くはその人だけの問題ではなく、社会全体で考えるべき問題なのだと考えさせられました。
最終回で御上先生は、「答えの出ない質問とは未来そのものなんだ。君たちが苦しみながら選ぶ答えは、きっと弱者に寄り添うものになる」と卒業する生徒たちにメッセージを贈ります。
これこそ、ヤジロベエ思考3.0にもっとも大切なことです。
答えの出ない質問であっても、考えて議論をし続ける。その答えが出るかどうかは分かりませんが、少なくとも一方的な善か悪か、勝ちか負けるかで判断するシーソー思考からは抜け出せるでしょう。
つまるところ、問題やトラブルは話し合いか殴り合いかでしか解決できないものです。殴り合いには紛争や戦争が含まれます。話し合いを放棄したら武力や経済力、権力のようなパワーで抑え込むしかないでしょう。
今までの世界は経済においても安全保障においても、シーソー思考的な発想でした。しかし、世界の状況を見ていると分かるように、今はどこか一つがダメになると、影響が全世界に及びます。
 人口が増えて情報の伝達は加速し、地球という船はどんどん小さくなっています。もはや、「自分の国、自分の会社だけ勝てばいい」という考え方ではやっていけないのです。

今回のサードアイ:真の情報リテラシーとは
 サードアイとは第三の眼、直観や心の眼です。今国民の多くがサードアイ的に「このままでは日本はダメになるのでは」と感じているのではないでしょうか。
ヤジロベエはご存じの通り、中央に人形があり、二本の腕に重りがついていてバランスを取っています。
今の時代、この中央の人形の在り方が問われています。人形は自分で立っているように見えても、バランスによって立っています。そのバランスが崩れたら倒れるので、左右のウエイトの選び方が大切です。
やはり、ヤジロベエのバランスを保つためには情報リテラシーが重要なのです。情報収集力、情報量=情報リテラシーではなく、情報を見極める力が不可欠だと思います。
そのために以下の5つを心がけてみてはいかがでしょうか。

①常に疑い、検証する
自分が正しいと思っていることは本当にそうなのか、常に疑ってリサーチしてみる習慣を身に着けると、フェイク情報に踊らされなくなるのではないでしょうか。

②本質を考える ~論破より看破~
看破とは「物事の真相や裏面を見抜くこと」という意味です。今や子供の間でも論破が流行っているそうですが、論破は相手の考えを全否定することになります。それよりも「どうして、この人はこういう発言をしているんだろう?」と相手の思考の裏側を考えるほうが議論は深まります。

③立ち止まる勇気と忍耐を持つ
社会全体が効率を追い求め、「即断即決」が最善とされてきました。しかし、それは物事を深く考えずに判断しなくてはなりません。あえて時間をかけて熟考することで、物事のさまざまな面が見えるようになってきます。

④自分の枠、社会の枠を壊して考える
「それって、常識でしょ」「普通、そういうものだから」と何気なく口にしているのなら、自分を枠の中に押し込めてしまっています。意識してその枠を壊さないと、思考停止の道まっしぐらです。

⑤リアルを見直す
自分の弱さや至らなさを自覚しないと、他人をなかなか受け入れられず、少しでも自分の考えと違うと攻撃的になりがちです。自分がどういう人間なのか、まずは現実を受け入れることで自分を取り戻すきっかけになります。そうすれば、他者に対して必要以上に批判するようなこともなくなるでしょう。

以上をもとに、理性とサードアイ的な直観や感性をバランスよく持っているのが大事です。最終的にはブルース・リーの名ゼリフ「考えるな、感じろ(Don’t think! Feel.)」につきると思います。

2025年5月9日
武元康明

備考:イラスト「21世紀はヤジロベエ」は、陶芸家「辻村史朗先生」に書いていただいたものです。