Third Eye

「生きづらさ」を解消するための新しいコミュニケーション

サードアイ 2024.7.9

今年の始め、ドラマ「不適切にもほどがある」が大ヒットしました。パワハラ・モラハラ全開だった80年代からタイムマシーンで2024年の現代にやって来た主人公が、コンプライアンスでガチガチになった社会に疑問を投げかけるストーリーでした。最近、無難なドラマが多いなか、脚本家の宮藤官九郎さんと主演の阿部サダヲさんはかなりギリギリまで攻めていました。
このドラマの根底に流れていたのは、「もっと寛容になろう」というテーマでした。今の日本のギスギスした社会に必要なのは、まさに「寛容さ」ではないでしょうか。
今回は、このような時代のなかで良質なコミュニケーションをとり、良好な人間関係を取り戻す方法を考えてみます。

●生きづらさの正体
生きづらさの理由として、誰もがお金や政治、経済を第一の理由に挙げるかもしれません。
確かに、長年のデフレや上がらない給料、五公五民とも言われる国民負担率など、国民は我慢の限界に来ています。
しかし、日本は今まで数々の困難や試練にあってきました。私はその時々の生きづらさと今の生きづらさは質が違うように感じています。以前は政治や国家、行政に対する不信感はあっても、個人同士の不信感は今ほどではなかったと思います。
今は何をやってもハランスメント扱いされてしまい、上司は部下に何も言えなくなり、部下も上司とどう接したらいいのか分からない状況になっています。
飲み会に誘えば「ノミハラ」と言われ、誘わなかったら「仲間外れにしてるんじゃないか」と言われたりするそうです。部下が居眠りをしていたので起こしたらパワハラだと訴えられて、起こした人が転勤させられたという話もあるくらいで、もはやどこに地雷が埋まっているのか分かりません。
上司が一方的に怒鳴りつけたり、理不尽な要求をするのがまかり通っていたころの反動かもしれませんが、このままでは上司と部下双方にとって不幸な結末しかないでしょう。
私は、いずれ行き過ぎは改善されると思っています。なぜなら、今の状態では不信感が募り、仕事の生産性が落ち、さらに家庭や学校も無味乾燥になって誰一人幸せにならないからです。誰もが生きづらさを感じる社会が長続きするわけありません。
こども家庭庁が行った「我が国と諸外国のこどもと若者の意識に関する調査」(令和5年度)によると、「自国の将来は明るいと思うか」とこどもと若者に聞いたところ、日本では
『暗い』と答えた割合が 61 .1%。アメリカ、スウェーデン、フランス、ドイツでは30~40%台なので、圧倒的に多い結果になりました。
それはつまり、子供たちは世の中に希望を持っていないということでしょう。私たちがつくってしまった子供たちが生きづらさを感じる世の中を、早急に解消しないといけません。

●コミュニケーションはなんのため?
そもそもコミュニケーションの目的は何でしょう。情報の共有や意思の疎通、時に説得や命令をしたり、感情の共有や自己表現など、さまざまな答えがあります。
私は、集約するとコミュニケーションの目的は「信頼の構築」と「思いやりの伝達」だと思っています。
利便性を追求する技術の進歩は、時に社会のひずみを生み出します。今多くの人が感じている生きづらさの1つは、コミュニケーション不足による信頼感の低下だと思います。そして、そうなったのはスマホやパソコンの普及による情報過多と価値観の多様化、異質なものを排除しようとする日本人の民族性だと考えます。
欧米においては、個人主義の歴史が長く、個の重要性と共に他者と連携し、異質なものを認める文化が存在します。
おそらく、日本も徐々にそれらを学習し、状況は変わっていくでしょう。その過渡期である現在を少しでもよくするには、やはり寛容さと愛情によるコミュニケーションで信頼関係をつくるしかないでしょう。
また、今は即断即決がいいと言われています。本当は時間をかけて検討したほうがいいことであっても即判断していると、善悪や好き嫌いのように両極端な考えになりがちです。すると、自分の考えとは違う人を排除するようになり、分断が進むばかり。その結果、SNSで多くの人と交流しているのに孤独感や虚無感に苛まれる人が増えているのではないでしょうか。

●自分と違う意見の人をどう受け入れるか
教育心理学を専門とされている東京外国語大学の田島充士准教授は、ロシアの文芸学者であるミハイル・バフチンの対話理論について長年研究されています。
バフチンによると、 コミュニケーションの取り方には言語認識の「自動化」「異化」をともなう2つがあります。
「自動化」は、会話の意味が自動的に伝わる、特定の集団や仲間内での交流を指します。一方「異化」は、自分の専門分野以外の人や、世代、性別、国を超えて対話できるようになることです。
たとえば、日本人は食後に「ごちそうさまでした」と言いますが、「なぜごちそうさまなのか」という疑問を持たずに、自動的に使用しています。対して、海外では「ごちそうさま」に該当する言葉を言う習慣がないので、「なぜ、その言葉を言うのか? どんな意味があるのか?」と疑問が生まれて、日本人に尋ねるかもしれません。これが異化のコミュニケーションです。
自動化が起きている場合、言葉を投げかけたら相手はほぼ期待通りの返答をするので、スムーズにコミュニケーションができます。異化が起きている場合、相手は想定外の返答ばかりするので、相手に理解してもらえるように説明しなくてはなりません。
田島准教授は、バフチン理論を異化のコミュニケーションで実践するために「TAKT教育法」を学校の現場で提唱しています。
TAKTは「他者(T1)」「愛情(A)」「会話(K)」「対話(T2)」の略称です。
何かテーマを設定して、そのテーマにおける他者を定めて、その他者に理解してもらえるようにコミュニケーションをとるロールプレイングをすることで、対話の仕方を学んでいくのがTAKT教育法です。
たとえば、「電流は豆電球に流れ込む前も流れ出た後も同じ量が流れる」という科学的知識に対して、他者が「それなら、なぜ電池は使い続けると使えなくなっちゃうの? 電流が減らないなら,いつまでも使い続けられるんじゃない?」と問いかけたとします。
それに対して「分からない」と答えて終わりにするのではなく、実際に豆電球を使って他者に説明することで、自分自身も理解できるようになるのがTAKT教育法(※1)の効果です。
これを会社に当てはめて考えてみます。
たとえば「なんで始業前に早く来て掃除しなきゃいけないんですか? それに対して残業代は払われるんですか?」と新入社員(他者)に聞かれた時、皆さんはどう答えるでしょうか。
「そういう決まりだから」「みんなやってるんだから」という答えでは、新入社員は納得できません。答えられないということは、自分自身も「分かったつもり」になっているだけで、本当は理解していない証拠。そこで、就業規則や法律などを調べたうえで新入社員に説明したら、自分も相手も理解できるようになるでしょう。もしくは、「この慣習はおかしい」と気づくきっかけになるかもしれません。
 今は20代と30代でも育って来た環境が大きく異なるので、互いの常識も異なります。ですので、互いを理解するために対話していくしかありません。そこに「相手のことを理解しよう」「相手に理解してもらおう」という愛情があれば、ハラスメントには発展しないのではないかと思います。

●新しい飲みニケーションで心理的安全性を高める
私はコロナ禍で廃れかけている飲み会や食事会をあえてリニューアルして提案したいと思います。
近年、「心理的安全性(psychological safety)」が注目されています。
心理的安全性とは、組織行動学を研究するエイミー・エドモンドソンが1999年に提唱した心理学用語で、「組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対しても安心して発言できる状態のこと」です。
米グーグル社は2012年から約4年かけて、生産性の高いチームの条件を調査するために「プロジェクトアリストテレス」というプロジェクトを実施しました。その結果、「心理的安全性がチームの生産性を高める重要な要素である」と結論付けたので、「心理的安全性」が注目されるようになりました(リクルートマネジメントソリューションズ「心理的安全性とは」より)。
それでは、どのように心理的安全性を高めればいいのか。私は、その一つがリニューアルされた飲みニケーションではないかと考えています。
飲みニケーションは20代~40代の7割近くが「いらない」と言っているデータもあります。50代でも6割がいらないそうです。
それでも、3割の若者は必要だと考えているのです。リモートワークが多くなり、社内での交流が減ったので、「業務中にプライベートな話はほとんどしないから、飲み会は自分のプロフィールを紹介する場になる」「社長が話しかけてくださり、今まで堅苦しい人だと思っていたが優しい人だと知った」と考えている20代もいます(「ミライのお仕事」2024年調査)。
ただし、今までの昭和の飲み会ではダメです。お酒を強要しない、悪口や噂話をしない、プライベートに踏み込みすぎない、あまり大人数にはしないなどの配慮をすれば、お互いに楽しめるのではないかと思います。また、飲み会では肩書ではなく「●●さん」と呼び合う、スマホは見ないなどのルールをつくると、若者も気楽に参加できます。
今は飲み会の費用を経費にできない会社も多く、ワリカンにするしかないので飲み会をしづらい面もあるかもしれません。その場合、ランチを一緒にするだけでも心理的安全性にいい影響を与えると思います。
運動会や社員旅行を復活させる企業もあるように、やり方次第では有効なのではないでしょうか。

●今号のサードアイ:不寛容が自分とまわりを苦しめる
年齢、性別、国籍、経験、思想など、あらゆる面で分断が起きています。これらはお互いに寛容になれば解決します。
寛容になるために難しいスキルは必要ありません。以下の点を実践してみてはいかがでしょうか。

・笑顔で挨拶をする
相手が誰であっても、自分から挨拶をするのは基本です。年齢も肩書も役職も関係ありません。できれば笑顔で挨拶すれば、相手も気持ちよくなるでしょう。

・否定しない
 相手の考えを否定せず、まずは受け止めることが寛容につながります。たとえ部下がミスや失敗をしても、頭ごなしに叱らないように。一緒に解決策を考えるほうが建設的です。

・相手を褒める
よく言われますが、褒められて悪い気がする人はほとんどいません。大げさに褒める必要はありませんが、「読みやすい資料だね。助かるよ」のように、ほんの一言二言褒めるだけで、相手は心を開いてくれるようになります。

・雑談をする
若者相手にどんな雑談をすればいいのか、悩んでいる方もいらっしゃるかもしれません。私の場合、ウナギの話が盛り上がる話題の一つです。私はウナギが好きで全国のお店を食べ歩いているのですが、「ここのお店はおいしかったよ」と伝えると喜んでもらえます。若者も意外とウナギ好きです。
以前、部下が「ゲームが好き」と言ったら、上司もゲームを始めて話題を合わせられるようにした、という話を聞いたことがあります。部下も、上司が自分のためにそこまでしてくれたら嬉しいでしょう。それもお互いの距離を縮めるための最高の方法です。

これらは昔からあるコミュニケーションの方法ばかりで、特段珍しくはありません。
しかし、結局のところ、王道のコミュニケーションが一番、相手との距離を縮められるのではないかと思います。
大事なのは形ばかりのコミュニケーションよりも思いやり。効率化ばかりを求めるのではなく、時間をかけて信頼関係を築くことが、今の時代こそ重要ではないでしょうか。

2024年7月9日
武元康明

備考:※1: TAKT授業のデザイン~批判的対話がつむぐ笑顔の教室 (2024年5月、福村出版より上梓)