Third Eye
【サードアイ番外編】 日本型の働き方の変遷と歴史 ~戦後編~
サードアイ 2022.8.5「戦前の日本はよかった」とよく言われます。
しかし、戦前編を読んでいただければ、現代から見るとブラックな労働環境がまかり通っていたことが分かると思います。むしろ、戦後の日本はホワイトカラーとブルーカラーの格差を縮めて一億総中流化を実現した、世界的に見ても奇跡の社会を実現していたのかもしれません。
今回は戦後の日本の働き方を追っていきます。
●日本的経営の3つの柱
米国の経営学者ジェームス・アベグレン氏は著書『日本の経営』(日本経済新聞出版)で、高度経済成長期の大手企業の成功要因は「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」にあると指摘しました。それ以降、この3つは日本的経営の特徴として定着していきました。
このうち、年功序列や終身雇用は戦時中も原型はありましたが、戦後定着するようになった慣行です。つまり法律で決まっているわけではないので、いつでも変えようと思えば変えられるシステムなのです。
それでは、どのように定着していったのか、見ていきましょう。
・終身雇用
日中戦争が始まると軍需産業で増産が必要になりましたが、働き手となる成年男性が徴兵されているので、人手不足が深刻になりました。工場で熟練工や技術者の引き抜きが激しくなり、ついに国も規制に動きます。
昭和13(1938)年に「国家総動員法」が出されると、続けて1939年に「従業者雇入制限令」を出して、軍需産業に関わる労働者の転職には国の許可が必要になり、その後すべての労働者に対して転職・解雇を制限されました。これが終身雇用の元になったと言われています。戦後、労働組合の力が強まり、年功序列や解雇規制とともに、終身雇用制は定着しました。
・年功序列
従業者雇入制限令が発令されるのと同時に、「賃金統制令」によって賃金も国によって統制されるようになります。これは軍需産業のインフレで賃金が高騰するのを抑えるのが目的でしたが、新卒者の初任給を一律にし、年1回の定期昇給や最高、標準、最低の昇給額も定められます。さらに、年齢や扶養家族数を反映すること、勤続年数や経験を反映することなども考えられるようになっていきます。
これが年齢や勤続年数に応じて昇給・昇進していく年功序列の起源だという説があります。
戦後、GHQによって年功序列は廃止されたはずですが、戦時中から続く賃金統制がなくなった際に、労働組合の主導の下で戦時中の賃金体系に近い制度がつくられました。そこから多くの企業に年功序列の賃金体系が広まっていきました。
・企業内組合
日本で本格的に労働組合の活動が始まったのは、第2次世界大戦が終わってからです。戦前も労働組合をつくる動きはありましたが、定着する前に治安警察法が制定され、すべての組合は解散させられました。
GHQにより日本で最初にできた法律は「労働組合法」でした。
戦地から戻った労働者は、労働組合を次々に結成していきます。戦前の労働組合は現場労働者=ブルーカラーだけの組織でした。しかし、戦後の企業別組合はブルーカラーだけでなくホワイトカラーも含まれます。
企業内組合については米国にも似たものがあるようですが、日本の組合の特徴の一つとされています。GHQが民主主義を早期に形成するために企業単位で結成を奨励したこともありますが、企業同士の競争が厳しくなったため、ライバル企業と同じ職種の労働者同士で団結することは難しかったという事情もあるようです。
●日本的雇用を支える金融システム
戦後確立されたメインバンク制は日本独自の金融システムです。
戦前は株主からの資金の調達と銀行からの融資がバランスよく保たれていましたが、戦後、GHQの民主化方針により財閥は解体され、財閥が持っていた株式は市場に放出されました。資産家たちは株式市場で資金を調達するのは難しくなり、銀行からの融資に頼るようになりました。
また、一度解体はされたものの、GHQの占領が解かれると財閥は復活していきます。財閥系企業と銀行の関係は密接になっていき、銀行から企業に出向したり、銀行が大株主となって融資先の企業の意思決定に影響をもたらす存在になっていきました。こうしてメインバンク制が定着していきます。
さらに、60年代に入ると民間で外国との資本の取引に制限がなくなり、日本の企業が外国人投資家の買収の対象になりました。そこで、買収防止のために同じ財閥系の企業同士で株式を持ち合うようになりました。
こうして系列と呼ばれる集団ができました。この系列は三井、三菱、住友、芙蓉、第一勧銀、三和の6つを指し、株式を互いに持ち合うことにより、系列関係の維持や強化を図りました。
かつては、「三菱の社員はキリンビール、住友はアサヒビール、三井はサッポロビールを飲む」と言われていたように、グループ内の結びつきは強固でした。一方で、グループ外に対しては排他的で、海外からは「不公平な商習慣だ」と批判されていました。欧米では「系列」の訳語がなく、「keiretsu」とそのまま使用することも多いようです。
同時に、銀行は倒産しないように政府に保護されるようになり、利益が少なくても低利の貸し付けを行うことができました。いわゆる護送船団方式です。
このように相互に補助しあう日本型の金融システムが確立されていき、高度経済成長期とバブル期に日本企業は目覚ましい発展を遂げます。
●日本的雇用が確立されていく
戦後、「労働三法」と呼ばれる「労働組合法」「労働関係調整法」「労働基準法」の成立によって、労働者に団結権や団体交渉権、ストライキ権が保障されました。労働組合は雨後の筍のように乱立していき、労働運動が活発化します。
昭和30(1955)年に始まる春闘を通じて、労働組合は賃金の2倍4倍のベース・アップを要求するようになりました。政府はジョブ型の職務給を導入したかったのですが、浸透せず、企業としては賃上げを小幅に抑えたいという考えがあり、大幅なベース・アップの代わりに定期昇給制度を確立しました。こうして年功序列の体制が固められていき、不当な解雇も規制されるようになり、ホワイトカラー・ブルーカラー問わずに終身雇用が定着していきます。
さらに、日本では職務ごとに賃金を定める「職務給」だと配属先が変わるたびに賃金が変わってしまうので、協調性や積極性などの曖昧な要素も評価に入れた「職能給」が導入されていきました。
こうして、日本型経営は確立されました。
幸か不幸か、日本は戦後株主の支配から抜け出せました。それにより、企業は設備投資や人材育成などにコストをかけられるようになります。年功序列や終身雇用という長期的な人材マネジメントが可能だったのも、短期的な成果を求められる株主至上主義ではなかったからです。
企業は定年まで社員を雇うために人材育成に力を入れ、労働意欲を高めるために福利厚生も厚くしてきました。長期雇用なので、新卒採用の際は即戦力にならなかった社員もいずれ戦力となり、人材育成にかけたコストも回収できます。
帰属意識が高まる一方で「組織の歯車」という言葉を生んだり、「24時間闘えますか」というキャッチフレーズに象徴されるような企業戦士を生みました。しかし、右肩上がりの給料が約束されていたので、誰もがローンでマイホームや車を買えた時代でもありました。企業にとっても社員にとっても幸せな時代でした。それがバブル崩壊後に崩れ去り、2000年代に株主至上主義にシフトしたことで、日本企業は迷走していきます。
●これからの日本型経営とは?
イギリス人アナリストであり、小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏は、
日本が高度経済成長を実現できたのは、ベビーブームのおかげだと主張しています。
日本人は勤勉で優秀であり、がむしゃらに働いたから高度経済成長が起きたと言われてきましたが、その理由は急激に人口が増えたからにすぎないということです。確かに、バングラデシュやインドネシアなど日本より人口が増えている国は経済成長率が高い傾向があります。
アトキンソン氏は「GDPは人口×生産性で割り出すので、人口が多い国はGDPが高くなる」と語っています。
また、日本は第2次世界大戦で深刻なダメージを受けており、そこから復興し元に戻すだけで成長率が高くなったとも述べています。
日本人としては複雑な思いですが、現在は人口が減っているから経済成長が止まっているのであれば、そこに経済復活の解決策があると思います。
改めて働き方の歴史を振り返ってみると、現在悪者にされがちな年功序列や終身雇用も、時代の流れで必然的に生まれたことがよく分かります。おそらく、バブルが崩壊しなかったら、そのまま日本型経営は続いていたでしょう。
最近言われるようになりましたが、アメリカも30年ぐらい前までは終身雇用が機能していました。
これはピーター・ドラッカーが『プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社)で述べていますが、アメリカでも大企業は新卒者を雇い、定年まで働くものとしていたとのこと。ただ、アメリカは法律で正社員を解雇できるので、「終身雇用的」というほうが正しいのかもしれません。
その後、製造業が衰退してIT産業に置き換わるようになり、今のような解雇が激しいアメリカ型になったという説があります。
そう考えると、終身雇用は雇用のスタンダードであると言えるのかもしれません。
優秀な若手社員にチャンスを与えるために年功序列はないほうがいいと個人的には思いますが、終身雇用は本当になくすべき慣行なのでしょうか。
サードアイの2回目でもご紹介しましたが、むしろ、アメリカは日本型経営を再注目しています。日本は単なる西洋の模倣ではない路線を築いてきたのに、今さらアメリカ型に追従する意味はあるのでしょうか? 新たな日本型経営を世界に示せばいいのではないでしょうか。
そんな思いがあり、今回、戦前からの日本の働き方を追ってみました。多くの企業にとって、どのようなマネジメントをしていくのかは永遠の課題でもあるでしょう。歴史にヒントがあるかもしれないので、皆さんの参考にしていただけると幸いです。
2022年8月5日
武元康明
【参考文献】
・アジ歴グロッサリー
「公文書に見る戦時と戦後 -統治機構の変転-」
終身雇用制はいつからあるの?
https://www.jacar.go.jp/glossary/tochikiko-henten/qa/qa22.html
・「日本的経営は戦時体制の遺物」
一橋大学大学院 経営管理研究科 特任教授 藤田勉
http://www.camri.or.jp/files/libs/1546/202011301606389427.pdf
・日本労働研究雑誌
「企業コミュニティと日本的雇用システムの変容」
山下充(明治大学経営学部准教授)
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/09/pdf/004-015.pdf
・東証マネ部! 「歴史的な視点で経済や市場を学ぶ」
https://money-bu-jpx.com/special/history/
・「日本における労働組合と労働者ストライキ」
ユハラ タリタ ユリ
https://www.irdc.saga-u.ac.jp/wp-content/uploads/2021/03/impression2.pdf
・「メインバンクの形成過程及びその役割」
李 建平
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/5669/kenkyu0250300310.pdf
・組織化学
「銀行と企業の関係:歴史と展望」
蟻川靖浩、宮島英昭
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshikikagaku/49/1/49_19/_pdf
・経済分析
「日本のコーポレート・ガバナンス -構造分析の観点から-」
経済企画庁経済研究所 田中正継
https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/archive/sei/sei012/sei012a.pdf
・DIO2012、12
「日本の賃金-歴史と展望-に関する研究報告書」
https://www.rengo-soken.or.jp/work/201212-02_03.pdf
・立命館経営学 第55巻
「第2次大戦後の企業グループ体制の日独比較(Ⅰ)」 山崎敏夫
file:///C:/Users/81706/Downloads/be55_1_yamazaki.pdf
・「戦後の企業集団とその問題」
宇野博二
file:///C:/Users/81706/Downloads/keizai_8_3_3_30.pdf
・Harvard Business Review 2015.09.15
早稲田大学ビジネススクール経営講座
「日本特有の『経営の常識』はいつ生まれたのか」
日本的経営と日本企業の進化【第1回】
相葉 宏二 早稲田大学ビジネススクール教授
https://www.dhbr.net/articles/-/3495?page=2
・「日本の労働組合の成り立ち」
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000zp5n-att/2r9852000001115x.pdf
・「戦後における職務給導入から職能給への変遷過程の分析 制度補完性の観点からの考察」
青山学院大学大学院 国際マネジメント研究科 山本美馨
https://www.aoyamabs.jp/programs/files/essay2008_m_yamamoto.pdf