Third Eye
第1回 日本のレジリエンス
サードアイ 2022.2.5新しく始まるコラムの名は「サードアイ」。
サードアイ、すなわち第三の目は神秘主義や形而上学で「内なる眼」とも言われ、不思議な力で未来を見通すものです。
何かと論理性が重要視される昨今ですが、ビジネスの世界でもサードアイ的な、右脳寄りの直感力こそ、これからの時代で必要になるはずだ!というのが、私の考えです。
それに加え、「私の目」と「あなたの目」、さらに「第三者の目」という三つの視点から社会全体を見渡せるような、メタ的認知も企業経営の上で必要になるでしょう。
この二つの信念から、サードアイと命名してみました。
私自身サードアイを開眼できているとは言えませんが……日々の気づきや努力をしたためたこのコラムが、読者の皆様の“開眼”のきっかけになれば幸いです。
◎【今月のサードアイ】日本のレジリエンス
コロナの感染者が減ることはなくとも、諸外国は徐々に景気回復の兆しを見せています。一方、日本は依然として先が見通せない状況にあると言えるでしょう。
そんな今の日本におけるキーワードは「レジリエンス」、すなわち「回復力」ではないでしょうか。
レジリエンスについて考えると思い出すのは、極地建築家というユニークな肩書を持つ村上祐資(ゆうすけ)さんのインタビューです。
村上さんは「人間の暮らしの原点」に立ち戻って建築を考えたいという立場から、宇宙建築を中心に研究をされています。その「暮らしの原点」を追求するために、自ら南極越冬隊と火星生活実験に参加して「極地」での生活を体験しました。
そこでの生活を語るインタビューで、村上さんは「タマネギ」を使って興味深いことをおっしゃっています。
極限の環境で生活することで、タマネギの皮を一枚一枚剥くように不要なものが捨てられいき、最後には芯、つまり「原点」が見つかるだろうと考えていた。ところが、一枚一枚皮を剥いていったら、最後に残るはずの芯まで剥けてしまい、後には何も残らなかった。
結局、暮らしに本当に必要なものは「芯」ではない……むしろ、最初に捨てる「茶色い薄皮」こそ、人間の原点なのではないか、と思ったそうです。
村上さんはこの「薄皮」を人間と環境との接触点と捉え、ご自身の建築における哲学を築いていらっしゃいますが、「人」を扱う私流に解釈してみることもできるでしょう。
「薄皮」は我々が軸や芯として捉えがちな「個性」から一番遠いところにあるもの、すなわち「習慣」、あるいは「慣習」だと思います。
個性や思想が大事だ!と叫ばれる時代において、意識的に選び取られた行動ではない「習慣」は、蔑ろにされがちのように思います。社会的な制約を強く感じる「慣習」は、一層この傾向が強いでしょう。
しかし、意識していないからこそ本質的ともいえますし、「習慣」となっている思考や行動こそ、危機的な状況に置かれ、心折れたときの拠り所となるのではないでしょうか。また、悪い慣習はもちろん消し去っていくべきですが、いい「慣習」——並ぶ時に列を作る・ちょっとしたことでも会釈をするなど——は、形式的だからこそ、心折れて自分のことで精一杯になっても自然と態度として現れ、他者と協調する可能性を繋ぎ止めていくと思うのです。
コロナ禍にある日本が回復するため、日頃の習慣や我が国の慣習の価値を改めて考え直してみることも必要だ、ということです。緊急事態宣言が出ようが出まいが、日常の習慣や本質的な慣習を継続する。それが自分を救い、優しさを失わず、しなやかに激動の時代を乗り越えてゆく「レジリエンス」へと、繋がっていくのだと思います。
2022年2月吉日
武元康明